日々の暮らし。父との死別。流産。ふたたびの妊娠。さまざまな出来事をとおして、 浮かび上がってくる、あたらしい結婚の形。変化していく、作家のこころ。毎日、少しずつ読みたくなる、結婚エッセイ集。装画、みつはしちかこ。本書には、西日本新聞に連載されていたエッセイが44本、書き下ろしエッセイが48本収録されています。
Amazon内容紹介より
<< 山崎ナオコーラ氏の本といえば「人のセックスを笑うな」を映画経由で読んだのが最初で最後でした。きっとそういう方が少なくないのでは、と思います。「人のセックスを笑うな」は原作本に関しても映画に関しても、かなり良い印象を持っていたので、そのまま次の著作も読むのが自然だったようにも思いますが、なぜか読まないままになっていましたね。ちなみに本書はプレゼントのご相伴にあずかった形での読書でした[1]御相伴の読みは「おしょうばん」が一般的なのですね。自分はずっと「ごしょうばん」で読み聞きしていました。
さて「かわいい夫」ですが、本書のタイトルが本のタイトルとして成り立つということは、それだけ「かわいい」という言葉と「夫」という言葉が結び付きにくい、ということなのでしょう。一般的に結婚する「夫」となる男性に求められる形容としては「かわいい」よりも「頼もしい」ですよね。「頼もしい」存在とは対極の位置にいるような自分でも、結婚する相手側の立場に立てば「かわいい」人間であるよりは「頼もしい」人間であって欲しいな、と思ってしまいますけれども、本書を読むと著者がどういう想いで「かわいい夫」との生活を選んだのか、ということがよくわかります。
また本書には序盤に「勝ち負け」というエッセイが収められています。このエッセイには抽象的な魅力では「夫」が圧倒的に良いが、具体的な部分では「夫」に何一つ負けるところがない、と書かれています。自分には、これに類することを言われた経験があるので、胸が少しチクチクしました。同時にそれを自分に対して言った相手は、著者と同じように家事力や経済力のような具体的に負けていないところを自分に求めていない、というようなことも言っていたので、こういう考え方をする人も世の中には少なからずいるのだなあ、と思いましたね。果たしてどれくらいこのような考え方をする方がいるのかはわかりませんけれども…。
こういう方たちがいるのは、頼もしさからは程遠いところにいる自分にとっては、ありがたいというような気持ちになるような、反面情けない気持ちになるような…。著者の「夫」がそういう立場にいることを引け目に感じていないようであることに比べると、自分はそこまでの境地にまでは至れておらず、中途半端な状態なのだろうなあ、とか思ってみたり。自分の置かれている状況が、この「夫」と似ているからこそ感じる自分の情けなさ、みたいなものを痛感してしまいました。
全体とすれば本書は著者の視点を淡々と切り取って書かれているのでとても読みやすく、煽るところがないのでとても心地の良い読書となりました。著者のような結婚の形を望む人が増えてくれる必要はないとは思いますけれども、このような形を含めて様々な関係の結び方を否定したり非難したり、疑問を呈したりする人が少しでも減ってくれれば多くの人にとって住みやすい世の中になるのではないかなあ、と思って読みました。もちろんそれは、本書に登場する「夫」と似ているようにも感じられる自分ですらも自分自身に疑問を感じてしまっているということに対する自戒の念も込めての話ですけれども。
そんな訳で「かわいい夫」は自分に似ているように感じる「夫」について書かれているだけに身につまされる内容でした。しかしそれは不快感を伴ったものではなく、むしろ日々の生活に寄り添ってくれる内容でしたので、著者が遭遇して本書に書かれているようなライフイベントに際しても再読していきたい本となりました。夫婦関係について考えることが多い方には特にオススメです。
References
↑1 | 御相伴の読みは「おしょうばん」が一般的なのですね。自分はずっと「ごしょうばん」で読み聞きしていました |
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