わたしは逆さまになって、ある女のなかにいる――。胎児が語る人間たちの世界。誕生の日を待ちながら、母親のお腹のなかにいる「わたし」。その耳に届く、愛の囁き、ラジオの音、そして犯罪の気配――。胎内から窺い知る、まだ見ぬ外の世界。美しい母、詩を愛する父、父の強欲な弟が繰り広げる、まったく新しい『ハムレット』。サスペンスと鋭い洞察、苦い笑いに満ちた、英国の名匠による極上の最新作。
Amazon 内容紹介より
前回感想文を書いた『ペンギンの憂鬱』の次に『憂鬱な10か月』を読んだので「憂鬱」続きです。もちろん自分自身が憂鬱状態になるのは好きではありませんが、「憂鬱」な文学作品に触れるのはわりと好きです。と言うよりは、ハッピーハッピーしている文学とかあんまり読みたくない気がします。描かれている憂鬱度合いにもよりますが…。ちなみにこの作品『憂鬱な10か月』に関しては、それほどの憂鬱さはありませんでした。むしろ、このお話が終わった後の方が色々と憂鬱なことが起こりそうです。
さて『憂鬱な10か月』です。Amazonさんの内容紹介の通り、母親のお腹の中にいる胎児が語り手になっています。語り手の胎児君[1]胎児の性別は男、9か月の胎児にして滅茶苦茶語りまくります。こんな胎児がいたら嫌です。しかし、作品を読み進めて彼の置かれた境遇を理解するごとに、これだけ語りたくなるのも致し方なし、という気持ちになりました。ちなみにこの作品を読んでいる最中に我が家にも第3子として奥さんのお腹の中に胎児が存在していましたが、ついつい「平凡な家庭で良かったね」と声をかけてしまいましたね。母親のお腹の中で恐ろしい量の知識と情報を得て、悟りをひらいたような胎児君が産まれた後でどういう人生を歩んで行くのか…誕生と同時にリセットされるはずの知識や情報なしにどう成長していくのか少し想像すると、お腹の中では未遂に終わったことを繰り返す人生でないと良いなあ、とか思ってしまいました。
それにしても妊婦であるはずの語り手の母親の生活には驚かされます。一般的な日本人の妊婦さんたちは少し気を遣いすぎなところがあるように思いますが[2]と、同時にそうなってしまうのも理解できますが…、この母親は気を遣わなすぎにも程があります。頻繁な程度を越えた飲酒[3]母親が飲んだワインを語り手が批評するのには大いに笑いました!・性交、不衛生な生活…語り手は雄弁ですが、語り手以外の誰もがほとんど語り手=胎児のことをあまり真剣に考えていない、ということが本当に信じられません。自分も3回目の体験となってようやく新鮮さは薄れましたが、それでもかなり気を遣うことは多いです。自分の奥さんにしても、飲酒などはもちろんのこと、栄養面・健康面など、かなり気を遣ってくれているのを目にしているので、正直この語り手の母親の生活にはゲンナリしました。それでも語り手の胎児ちゃんの母親への愛は絶対なのだから、母親というものは大変だよなあ、とも思わされましたね。もちろん著者である『イアン・マキューアン』氏が男性である、という点もこういった母親像を作り上げている理由だろうとは考えられますけれども…。とは言え、自分の母親を見て『美しくて、愛情にあふれていて、人殺しをしかねなかった。』と表現するのは激しい愛情だなあ、と思ってしまいました。自分にはあまりない感覚ですね。
ところで、特に中盤から後半へかけては、どうなるの?どうなるの?と久しぶりに先が気になる読書になりました[4]個人的にはそういう読書はあまり好きではないのですが…。まさにサスペンス。語り手も含めて各人の生命・人生が左右される出来事が続くので仕方がありません。語り手の母親とその交際相手である語り手の父親の弟の杜撰で思慮の浅い言動には、読んでいて正直イライラしてしまう部分も少なからずあったのですが、そのおかげで[5]「おかげ」と言うべきかはわかりませんがより先の展開が気になったように思います。着地点自体は大抵の読者の想像の範疇ではあるでしょうけれど、それでも気になるように書かれている巧さがありました。
そんな訳で『憂鬱な10か月』はハラハラドキドキするサスペンス小説のような雰囲気のある作品でした。読みやすくサクッとした読み味だと思います。室内劇どころか子宮内劇なのに、これだけの感情や情報が溢れてくるのだから脱帽としか言えないです。オススメです。
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