すべての人生が、いとしく、切ない。ピュリッツァー賞を受賞した珠玉の連作短篇集。アメリカ北東部の小さな港町クロズビー。一見静かな町の暮らしだが、そこに生きる人々の心では、まれに嵐も吹き荒れて、生々しい傷跡を残す――。穏やかな中年男性が、息苦しい家庭からの救いを若い女性店員に見いだす「薬局」。自殺を考える青年と恩師との思いがけない再会を描いた「上げ潮」。過去を振り切れない女性がある決断をする「ピアノ弾き」。13篇すべてに姿を見せる傍若無人な数学教師オリーヴ・キタリッジは、ときには激しく、ときにはささやかに、周囲を揺りうごかしていく。
Amazon内容紹介より
再読しました。読書記録を確認してみると、3年ほど前に読んでいたみたいです。再読して、そういえば読後感はあまり良くなかった…ということに気付いたのですが、それでも魅力的な小説であることは間違いないですね。再読の最中も、読んでいてツラい瞬間が少なからずあったのですけれど、きっとまた懲りずに数年後には再読してしまうと思います。
さて「オリーヴ・キタリッジの生活」です。形式的には短篇集となっていますけれども、タイトルにもなっている「オリーヴ・キタリッジ」という人物を通して連なっていく、1つの長篇小説というように読むことが出来ます。とは言っても、オリーヴ・キタリッジは出づっぱりという感じでもなく、いくつかの短編では端役として遠景と一緒に描写されるだけであったり、脇役として登場するだけであったりと、その登場の仕方はまちまちです。
ただし、オリーヴ・キタリッジが大柄な女性であること以上にその存在感は突出しています。もちろんタイトルに冠されているのですから、存在感があるのは当然と言えば当然なのですけれども…。田舎町で教師をしていて、この存在感をまとっていれば常に見られているように感じられるかと思うのですが、オリーヴ・キタリッジは些細なことで怒り出したりする面では繊細であるものの、見られていることを感じる、というような繊細さは持ち合わせてはいなかったようです。個人的にはオリーヴ・キタリッジの息子であるクリストファーが母親へ言いたいことは理解できますね。
それにしても、この小説を読んでいる最中のツラさ、しんどさは何なのでしょうか。人生のツラさやしんどさを表現しているのだとしたら、そしてこのオリーヴ・キタリッジの人生が「平凡」と言うのであれば、人生とは何とツラく、しんどいものなのか、と思ってしまいます。時折オリーヴ・キタリッジが感じる幸福感や春の美しさのようなものたちが、日々のツラさをより強調させるために存在しているようにすら錯覚させられてしまいました。物語の中でオリーヴ・キタリッジ自身がこんな気持ちを抱えて生きていく意味なんて…というようになっていますけれども、読んでいて自分も同じように思ってしまいました[1]同時にオリーヴ・キタリッジがこの気持ちを抱えたままに生きていこうとするところでは、自分も同じように思ってしまうから不思議です。
ところが紡がれていく文章は美しいのですよね。ツラい日々、しかも年老いていくオリーヴ・キタリッジや周囲の人々を感じながら読み進めていくのは、その内容も相まってツラい部分も少なくないのですが、そこに書かれている文章は本当に美しいと感じられます。江國香織氏が書いた帯にも似たようなことが書かれていましたが、読んでいて「これぞ小説」という気持ちになりました。またツラさも含めて、詰め込まれたものだからこそ人生を素晴らしく感じるものなのかもしれませんね。自分はまだその境地には至れていませんけれども。
そんな訳で「オリーヴ・キタリッジの生活」はツラさを噛みしめながら、読書のよろこびを感じる再読になりました。著者の次作である「バージェス家の出来事」は未読なので、近いうちにそちらも読みたいですね。きっと本書と同じく、ツラい気持ちを抱えながらの読書になるのでしょうけれども…。
References
↑1 | 同時にオリーヴ・キタリッジがこの気持ちを抱えたままに生きていこうとするところでは、自分も同じように思ってしまうから不思議です |
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